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二葉家具ミュージアム

Futaba Kagu Museum

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二葉家具の始まり

二葉工業は、1921年に室内装飾業を請け負う大槻商会として河原町二条 に創業し、太平洋戦争中の1943年に「二葉工業」として事業登録しました。

初期の二葉工業は、大学や官庁、企業などに納める洋家具や工作機械台、展示台などを中心に製造していた。さらに終戦後、企業や商業施設などのための内装に伴う注文家具(椅子、机、応接セットなど)の製作を始めました。

1948年に井尻隆一が社長に就任し、翌年寺町夷川に店舗を構え、注文生産だけでなく店頭販売を始め、同年、特別調達庁に特A級工場として認可され、1950年には特別調達庁長官から表彰も受けている。

こうして別注家具・建具を請け負う企業として二葉工業は、1950年代半ばから四条繁栄会の店舗へ什器を納入したり、大丸や高島屋の木工部の下請けをしたりしながら、徐々に一般家庭用家具の量産化を考え始める。

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水之江忠臣とMシリーズの誕生

京都会館の建設プロジェクトの際に、日本を代表するインテリアデザイナー「水之江忠臣」との出会いは二葉家具に大きな転機をもたらしました。

山本敏郎がオリジナル家具の開発に携わったのと同時期に、二葉家具社長の井尻隆一は、水之江忠臣に「二葉オリジナル」の家具デザインを依頼しました。テーマは「京都らしいデザイン」。水之江忠臣は、1/10の図面とフリーハンドスケッチを郵送し、それに基づいて二葉家具は家具作りを進めました。

水之江忠臣がデザインしたM-101(一人掛け椅子)とM-102(二人掛け椅子)は、ナラの無垢材による基部と張りぐるみの背と座が特徴で、腰椎のカーブに沿った背もたれと少し硬めの座による安楽性の確保、製造工程の無駄のなさ等、徹底したモダニズムの椅子と言えるでしょう。

M-101及びM-102は、社内デザイナーである妹尾衣子が原寸図を描き、約2年弱の試行錯誤を繰り返して完成しました。当時の工場では、水之江忠臣の厳しい要求に応えるべく、部材の厚みや仕口の細部などを調整する際、1ミリ単位で削ったり足したりを繰り返したといいます。垂直の面が数個の組合せを可能にし、基部と背と座の接合部分の処理により、少し浮いたように見え、より軽やかな印象を与えています。

また、M-102二人掛け椅子は京間の半間900mmであり、京町家との調和を意識したサイズとなっています。同じく水之江忠臣がデザインした天童木工のEasy Chair T-5162と比較しても少し小さめのサイズであり、日本の住宅事情に合わせたものでした。

そうして生まれたMシリーズの、細部までこだわったデザインを実現させる事は、技術的発展も二葉家具にもたらしました。

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水之江忠臣

インテリアデザインの巨星「水之江忠臣氏」

1921年大分県生まれ。1942年に前川國男建設計築事務所に入所、神奈川県立図書館・音楽堂(1954年)、京都会館(1960年)他、前川國男作品でのインテリアデザインを担当。

1950年代日本を代表するインテリアデザイナーの1人で、剣持勇・渡辺力・柳宗理・長大作らと共にジャパニーズ・モダンと呼ばれるデザインの礎を創ったといわれています。→「M(水之江忠臣)シリーズ」を見る。

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二葉家具と北欧家具

二葉家具と北欧家具とのつながりは、日本の家具業界に大きな影響を与え、日本の住空間に北欧のライフスタイルを取り入れるきっかけを作りました。

1970年代、二葉家具は水之江忠臣の助言を受け、北欧家具の輸入・販売を開始しました。当時、日本の住宅は欧米化が進みつつありましたが、北欧の家具やインテリアはまだ一般的ではありませんでした。二葉家具は、北欧の家具が持つシンプルで機能的なデザイン、そして自然素材を活かした温かみに着目し、日本の住空間に調和する可能性を感じていました。

1973年、二葉家具は河原町通に面する本社ビルを完成させると「北欧のベターリビングフェア」を開催し、北欧家具や北欧の生活雑貨や文化なども紹介し、日本における北欧スタイルの確立に大きく貢献しました。

1975年には、デンマークの家具メーカー「Artek社」との総代理店契約を結び、日本で初めてArtek製品の本格的な販売を開始しました。特に、アルヴァ・アアルトがデザインしたスツール60は、現在でも人気が高い逸品です。

二葉家具は、北欧家具の輸入・販売を通じて、いち早く日本の人々に北欧のライフスタイルを紹介し、日本の住宅にも取り入れやい北欧デザインを通じて国内の家具業界に刺激を与え、より高品質でデザイン性の高い家具が生まれるきっかけとなりました。

北欧家具を取り入れり事は、二葉家具の掲げる「日本の暮らしを豊かにする」という理念を実現する一つの手法だったのです。

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オリジナル家具の開発へ

二葉工業は、別注家具や建具を請け負う企業として、1950年代後半から一般家庭用家具の量産化を考え始めました。

1960年代に入ると、京都会館の建設(1955年〜)において、前川國男設計所属の「水之江忠臣」が家具製作を二葉工業が受注したことを契機に、1959年に西京極工場を創業し、量産化への準備を始めました。

また、1960年代初頭には、著名な建築設計事務所が住宅用家具を設計し、家具メーカーが別注品として受注することが多かった中、二葉工業社長の井尻隆一は、別注を待つのではなく積極的に自社製品を売り出すことを考え、「二葉オリジナル」を作ることを決意しました。

そして1964年、日建設計に所属していた「山本敏郎」が二葉工業の顧問デザイナーに迎えられ、妹尾衣子が社内デザイナーとして雇用されたことで、本格的なオリジナル家具の生産が始まったのです。

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加速するオリジナル家具作り

1980年代に入り、社内デザイナーの村田真己と外部デザイナーの妹尾衣子(元社内デザイナー)とともに新たなオリジナル家具の開発に力を注ぎました。

1981年に発表された10シリーズは、ブナの心材をナラで挟んだ成形合板を使用し、コストダウンを考慮した製品として開発されました。 このシリーズは、従来の二葉工業の家具とは異なり、同じ厚みの部材を用いた成形合板によるハイバックチェアなど、新たなデザインが取り入れられました。

また、1980年代は外連味のあるデザインが好まれた時代であり、10シリーズの背もたれの窓は様々な形に切り抜かれ、多くのバリエーションが存在しました。合板で作られた背もたれは、上方に向かって薄くなるように加工されていましたが、これは突板用のプレス機を転用したものでした。

このように、二葉工業は1980年代に新たな素材や製法を取り入れながら、時代のニーズに合った家具作りを行って行くこととなります。

時を超えて愛される、
二葉家具の家具たち

京都市で創業し100年以上の歴史を持つ二葉家具は、日本の住空間に寄り添う家具を作り続けてきました。

水之江忠臣氏や北欧家具との出会い、創業当時から培ってきた木工技術が様々な名品を生み出してきました。

世代を超えて受け継がれる価値を持つ二葉家具の家具。

それは、「暮らしを豊かにする家具」をコンセプトに、デザイン性、機能性、耐久性に優れた家具を提供し続けているからです。

​産雇文献:

京都、二葉工業のオリジナル家具開発 -製造形態の変遷と北欧モダンの影響-  (京都精華大学 谷本尚子教授 著 )

二葉家具は家具に関するあらゆるご相談を承ります。お気軽にお問い合わせください。

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Futaba Furniture: Collection of Past Works

二葉家具の名作の記録をお楽しみください。

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